万花の蜜と星燈り

幸せに繋がる気づきを綴る

# NEWSIES company に拍手を

去る5月8日に向けて、ついったさんで起こっていた流れのようです。
(源流はエリザベートカンパニーとのこと、素晴らしいですよね)
遅刻してるし、こんな片隅のブログで便乗するのは違っているのかも。

でも、感情と感動が伝えられるなら、
余波のひとつとなれるなら。
発信する自由はあってもいいでしょうか。



大我くんが全霊を込めて演じようと臨んでいたであろう初主演ブロードウェイ。
個人的には観に行けるご縁がなくて、(どうでもいいですが、エリザベートにもご縁がなくて)
ちょっと結構本気で落ち込んでいた初春を思い出します。
でもその直後に予感した暗雲はそのまま、あまりにも切ない春の嵐となって全てを吹き飛ばしていきました。



大我くんをはじめとするカンパニーや運営の皆さま、
観劇の予定を楽しみにされていたファンの皆さま、
私のちっぽけな悲しみなんかじゃ測れない感情の中にいるはずなのに、
「次が必ずある」と信じる言葉にあふれていて、励まされました。

Forever NEWSIES

出逢える奇蹟に恵まれますように。





何よりも命が大事です。きっとそれは、多くの人の共感を呼ぶ真実でしょう。
けれど、その正しさの圧に押されて、心を潤すオアシスや糧を得るための社会的活動はどうしても狭められる。
一時的であるならば、それはただの安心であったでしょう。
けれど、先の予測が難しい中で足掻くから、必要なことが解っていてもその通りに生きるのが苦しくなっていく。
諦めたことの悲しみや辛さがなくなるわけでも、思い通りに動けないことの遣る瀬なさや不安が消えるわけでもない。

なんとかできないものかと練る策が、次の禍を生まないように。
どうにか楽しもうと凝らす工夫が、誰かの心を折らないように。


頑張っているね、ありがとうね、と
認めあえることがひとつの幸せだと想いたいから。






ちょっと話はずれますが、
私は今回の世界の事象において、拍手をいただく側にいます。
現状、超最前線でない幸運に感謝しているけれど、ヒヤリとする場面は今も常にあるから気が抜けない。
でも、出来うる限りはこれまで通りに、守りたい命や生活がある。
それに、私よりもっとギリギリなところで懸命な方々がたくさんいる。
だから、がんばる。

そんな日々を送っています。

正直、「医療者に拍手を」プロジェクトを、初めはちょっと冷めた目でみてました。
そんなことをやっていると気づけるのは毎回、しましたよって知らせるニュースでだったからと思う。
拍手をする人の活力、もっと捻くれるのならば、暇潰しになれてるなら良い企画ね、と。

頑張っているのは医療者だけじゃない。
もちろん自分たちも頑張っているけど、それ以上に多くの人に支えられている自覚があります。

だからといいますか
NEWSIESへの拍手企画を目にした時に、あまりときめくことができなかった。

やっても喜ばれるの?と。


そして来たる、幻になった公演初日。本当に多くの拍手で溢れていましたね。
そしてそれが、ちゃんと伝わって欲しいカンパニーの方々まで届いてた。

たった一言、タグに気持ちを乗せることで想いを共有できるんだ。

私はなんて狭いところにいたんだろう。
できることがあるのって、ある種の救いでもあると分かってたのに。
すごく自分中心になっていたなと反省しました。

いつもながらタイムリーに気持ち良く参加することはできなかったけど、
ちょっとでも一緒の言葉で願わせてください。

それから、これまでもこれからも医療者へ贈ってくださる拍手に、今まで以上に感謝します。
ちゃんと喜びとして感じて、力に変えていこう。





学生のときに講義で聞いた「看護はアートである」という先生の言葉を思い出します。
文化芸術って、生存の基盤、生活の基盤があって、さらなる豊かさを語るときに存在を増すものです。
でも、生活や生存がギリギリになっているときに、優しさや癒しをくれるものでもあって。
経済と切り離せないけど、政治の舵取りも大切だけど、光も見たいから。
自分がしっかり立つときに、Artできているかどうかをも引き続き問い続けていきたいと思います。



ここに寄っていただき、とりとめのない文におつき合いくださり、
ありがとうございました。